まあち人間[Walking in Helsinki]


1998年、フィンランドで生活していたときの作品。
帰国する前の7ヶ月はヘルシンキの街中に住んでいました。
この絵は、そんな街中でも、特に、ユーゲントスタイル(1890年前後)の街並の中をあるくまあち人間をイメージして描きました。

1997年から1998年に生活している間、様々なところに引越しました。
最初は、ヘルシンキ隣のオタニエミというところにあるヘルシンキ工科大学(現アールト大学)の学生アパートに3ヶ月。ここで、フィンランド人2人と計3人でのシェアアパート。そこでは、もともとの持ち主が、夏休みの出稼ぎアルバイトから帰ってくるという事で、出なければいけなくなりました。
緑に囲まれた学生アパート
その次は、ヘルシンキ市内のAnttikorpintieにある、8人での学生シェアアパート。
フィンランド人女性2人、ドイツ人女性2人、アメリカ人男性1人、ロシア人男性1人、イギリス人男性1人、日本人男性1人の計8人。
この8人シェアのユニットが、12フロア有る大きなシェアアパートで、様々な異文化交流があり、とても楽しいアパートでした。フィンランドでは、当たり前に共同サウナがアパートの地下にあるのですが、週に2回、そこの施設もサウナの日があり、我々も、銭湯に行くように、サウナに行かない?と、誘い合いながら、その夜を楽しみにしていました。
各フロア様々な国からの留学生がいて、サウナは、いつも大盛り上がりだったことを覚えています。
作りはつまらない建物ですが、学生のノリは世界共通
突然夜中にパーティーが始まったり、楽しい時間を過ごせました

しかし、9ヶ月ほど、滞在させて頂いたのですが、もともと、ここは学生のアパートで、労働ビザで仕事をしている私は、大家も見かねて、そろそろ、次のアパートを探しなさい!と言われて、出て行くことになりました。
次は、ヘルシンキでも都心のPunavuorenkatsuという通り。
仕事をしていた、ユハ・レイヴィスカの事務所からも徒歩6分程度という立地条件。
それも、ユーゲントスタイルという、アールヌーヴォー末期の1898年に建てられた建築史の教科書にも載っている古いアパートを見つける事が出来ました。
それも、3階の最上階で、円形に飛び出た部屋の特等席!
日本に帰国するまで、この部屋で過ごすことになりました。
私が住んでいたアパート
手前のシリンダー状に飛び出たところの最上階に住んでいました
とにかく、私が生活していた時は、ようやく不況から好景気に向かうところで、ヘルシンキへの人口流入で、住むところが少ない状態でした。私も、最後のアパートを探すときは、ヘルシンギンサノマットという大手の新聞に、宿探しの広告を出して、やっと、出会った物件でした。
2年という短い間でしたが、様々な生活スタイルを満喫できたのは、本当に良い経験でした。

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by マサアキ タカハシ(高橋正明)

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